第6回へキライ  お題:「メガネ」
ガラス越しでなくても見える。

2016.12.24


▽問題編

「おはよ」
 目を開けるとそこには、間近で微笑む同居人。
 ベッドの脇に座り込んだ女が、マットレスに肘をついて、こちらの顔を覗き込んでいる。
「みちる……?」
 珍しいこともあるものだ。いつもなら、瑛太の方が早く起きて支度を済ませているのに。
「悪い、寝過ごした。今から朝ごはんの――」
 身体を起こそうとすると、みちるの手が上半身に添えられ、柔らかく動きを阻む。そして――
「エイちゃんってさ、格好いいよね」
「は?」
 何の脈絡もなく投げられた言葉に、瑛太は反射的な声を返した。寝起きの頭では、巧く処理するのに時間がかかる。
 この女は時折、突拍子もないことをするものだから心臓に悪い。無防備に染まりかけた頬を、冷静な思考で押しとどめ、瑛太は何とか言葉を選んだ。
「……普段から散々、悪人面だの何だの言っておいて、どういう風の吹き回しだよ」
「いやー、ほら、ギャップって言うの? いつもメガネかけてるから、素顔って新鮮で。偶にはいいよね」
「そりゃどーも。で、今何時?」
 カーテンの向こうはまだ薄暗い。
 目を細めて少し離れたローテーブルの方を見る。ぼやけた視界の中、みちるがそちらへグッと片手を伸ばすのが見えた。目覚まし時計を手に取り、瑛太の顔に近づける。
 時刻は六時。平日ならともかく、仕事が休みの日は大抵まだ寝ている時刻だ。
「偶然早く目が覚めて。いつもは私が起こされてばっかりだから、私がエイちゃんを起こそうかなって思いついて」
 確かに今朝は、普段とは立場が逆だった。
 平日の瑛太は、寝起きの悪い同居人に手を焼いている。部屋に乗り込んで布団を引き剥がし、ベッドから落として着替えを投げつけるのが常だ。
「いつもこのぐらいの時間に起きろよ」
「はーい、善処する」
「……改める気無いだろ?」
 誤魔化し笑いとともに肩をすくめたみちるを見て、ため息を落とす。額を指ではじくと、呻き声が上がった。
 彼女の手が、再び体の上に置かれる。緩い力でそれを剥がし、瑛太は身体を起こした。
「起きるの?」
「目が覚めたからな。朝飯の用意してたらいい時間になるだろ」
「二度寝してもいいよ?」
「別に、睡眠は足りてる」
 でも、と更に続ける彼女に少しの違和感を覚える。
「起こしちゃったし……朝ごはん、今日は私が作るから、ゆっくりしてなよ」
 どうやら、瑛太には寝ていて欲しいらしい。ベッド脇に座ったままこちらを見る目は懇願しているようにも見える。
 それじゃあ遠慮なく、と提案を飲んでも良かった。
 しかし、ここまで必死だと、だんだん怪しく思えてくるのだ。
 瑛太が起きていたら都合の悪いことでもあるのか、と。
「じゃあ、お言葉に甘えて二度寝する。カーテンだけ空けといて」
「え、何で?」
「寝過ぎたら嫌なんだよ」
「じゃあ、目覚ましセットしとくね」
「いや、カーテン開けとけば充分だから」
 露骨に焦り始めたみちるの声に、吹き出しそうになるのを堪える。
「エイちゃんの方が近いでしょ。自分でやりなよ」
 確かにみちるから見れば、窓はベッドを挟んだ向こう側だ。瑛太の方が近い。
 しかし、そもそも大した広さのない部屋だ。ちょっと立ち上がれば、その場からでも手が届くはずなのだ。
 それができないということは。


「ホント、隠し事が下手だよなあ」
 笑いまじりの言葉に、みちるは折れて両手を挙げた。全面降伏。
 そろそろ、答え合わせを始めてもいいだろう。





▽解答編

「だからさ、不自然過ぎるんだよ」
 瑛太の言葉に、みちるが口を尖らせる。
「私だって、たまには早起きすることだってあるもん」
「違う。普段からすれば異常だけど、そこじゃねえ」
 座ったまま続きを待っている彼女に、二本の指を突きつけた。
「おかしいのは大きく二つだ。一つ目は距離。顔が不自然に近い。みちるは俺が起きてから、ベッドの傍からずっと動いていない。目覚まし時計を取る時も、身体はそのままで腕だけを伸ばしていた。頑なにその場から動かない」
 みちるは、緊張した面持ちで、口を挟まずに聞いている。
「二つ目は、言葉。しつこく二度寝をすすめてくる。それから、起きてすぐの、唐突な言葉も怪しい」
 納得するところはあるのだろう。浮かれたカップルじゃあるまいし、相手の容姿を意味もなく褒めるような性格ではない。それで動揺した瑛太も大概だが、そこには触れないでおく。
「さて、ここで質問」
 あからさまに肩を震わせた彼女を前に、喉の奥から笑い声が漏れた。小動物相手に戯れているような心地だ。どちらが勝つのか、初めから決まっている。

「俺のメガネは?」


 瑛太はベッドから降りて、みちるの隣へ腰掛けた。彼女は俯いたまま視線を背け、スカートの裾を握り締めている。
「早く出せよ。手ぇ突っ込まれるのは流石に嫌だろ」
 その言葉にぎょっとしたのか、みちるは慌てて立ち上がった。
 スカートの布地の下に、見慣れたフレームが落ちていた。
 手に取ると、つるの部分が妙な方向に歪んでいる。
「おー、見事に曲がってる。何した?」
「……踏んづけました」
「だろうな。お前これ、俺が二度寝したとして、どうするつもりだったんだ?」
 無言のみちるが何より雄弁だった。
「ノープランか」
「今日はずっと寝かせとけばいいかなって。あーもう、初めにメガネの話出したのは失敗だったよねえ……」
「顔が近いのも、わざわざ時計を渡してきたのも、メガネがないことを意識しにくくするためか」
「そうそう、エイちゃん近視だし、近くにいれば誤魔化せるかと思ったんだけど、やっぱり無理だったかー」
「当たり前だ、馬鹿」
 息を吐いたみちるが、深々と頭を下げる。
「ごめんなさい、壊しました。お詫びに何でもします」
 バレてからは一転して潔い態度に毒気を抜かれる。
 瑛太としても、喧嘩がしたいわけじゃない。むしろ、ゲーム感覚で追い詰める過程を楽しんでいた。
 これ以上、後に引く気はなかった。
「取り敢えず朝ごはん」
「うん」
「掃除と洗濯」
「うん」
「あと買い物。メガネ屋行かないと」
「うん」
 同居人は、全ての要求に対して殊勝に頷く。その様子に、小さな悪戯心が湧いた。
「それから、手」
「うん。……手?」
 頷いてから首を傾げたみちるに、右手を差し出す。
「見えねぇ俺のために、当然エスコートしてくれるんだよな?」
 意図に気付いたのか、頬を紅潮させた彼女は、それでも頷いて瑛太の手を取った。
「勿論」
 思いのほかしっかり握られた手に、じわじわと熱が集まる。



同居人との早朝の攻防
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