深夜の真剣文字書き60分一本勝負 お題:「太陽に憧れる星」「消えた本の行方」 あの静寂はもう
2016.07.09 その日、彼女は来なかった。 そして、それは怜司にとって衝撃的な出来事だった。 いつも怜司は、空き教室で放課後の時間を潰していた。 クラス数が多かった時の名残で、北校舎の三階はワンフロアの教室すべてが空き教室となっている。吹奏楽部のパート練習や委員会のミーティングで使われることもあるが、角の一室だけは、忘れ去られた空間だった。 元は教材室か何かだったのだろうが、埃を被った箱や本は、明らかに何年も放置されている。世界地図など、補修に使われたテープは黄ばんで剥がれかけていたし、いくつかの国は、教科書とは異なる旧名で記されていた。 時が止まったようなこの部屋を、怜司の他に見つけ出した者が一人だけいた。 その少女は、先約に驚き、怯えたように唇を噛んで、それでも退くことなく頭を下げた。 「許可を、ください」 「許可?」 「放課後、ここにいてもいいって許可をください」 少女とは話したこともなかったが、同級生だった。敬語で話す必要もないし、そもそも教室は怜司の所有地ではない。空間の共有を許したのは単に、小煩いタイプではなさそうだったからだ。 それから実に二年もの間、彼が文庫本を読む傍らで、彼女も同じように過ごしていた。本を読み終わって初めて、相手のことを思い出したように一言二言交わす。遠慮がちに発せられる落ち着いた声は、心地よく響いた。あの静寂を、あの時間を愛しく思っていたのは、怜司だけだったのだろうか。 放課後の少なくはない時間を共にしても、怜司が彼女と日中に関わりを持つことはなかった。彼女も、特に話しかけては来なかったし、怜司は怜司で自分の影響力を自覚していたからだ。 彼女が怜司に送る視線はいつも、手の届かないモノを見るようであった。クラスに存在する暗黙の序列は、怜司を太陽のごとく称え、彼女をさして輝かぬ星に貶めていた。 怜司は日中のしがらみを、放課後に持ち込む気はなかった。しかし、彼女の方は違ったのかもしれない。 焦がれてやまないように怜司を見るくせに、一線を引く。そんな様子に苛立ちを覚え、彼女の躰を強引に組み敷いたのはずいぶん前のことだ。彼女は怯えた目で首を振ったが、強く抗うことはなかった。そして、暗い瞳のまま、翌日の放課後も怜司の元へ来たのだ。 それなのに。 彼女が来ない原因として、思い当たることが一つだけある。 「わたし、苦しいんです」 昨日、珍しく彼女が口を開いた。放課後、二人きりの時ですら、彼女は自分から怜司に話しかけることがほとんどない。だから、少し驚いて、それから、真剣に聞かねばならないと思った。 「何がだ」 「あなたとこういうことするの」 彼女は言葉を濁して言ったが、『こういうこと』が指すものは何となく察せられた。 「何故」 「言っても分からないと思います」 「いいから言え」 抱きすくめたまま、耳元で囁くと、彼女は諦めたように息を吐いた。躊躇いながらも言葉を紡ぐ。小さい声だが、はっきりと言い切る口調だった。 「……感情が見えないから。こういうことしているときのあなたは、表情一つ変えないから」 「表情に乏しいのは元からだ」 「知ってます。でも、私にとってそれが苦しいんです。だから、もうやめましょう?」 やめる、という言葉だけが頭の中を支配した。気付けば再び、目の前の唇を奪っていた。竦む彼女の精一杯の静止を押さえつけ、貪る。彼女が目尻からこぼした涙も、それをみた自分の胸が締め付けられるような思いも、無視して。 彼女がいつも座っていたスペースには、彼女のいた痕跡は残っていない。私物も何一つ。全ての時間が夢だったかのように、残らず消え失せた。 ただ一つだけ――怜司が読みかけていた本が一冊、消えていた。彼女が持ち去ったのだろうか。もしそうなら、どんな思いで。 「物言わぬ恋の獣」の彼視点。なんとも掴みどころのないやつです。 |
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Copyright ©2016 Maki Tosaoca
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