第2回へキライ  お題:「指先からの芽生え」
二鬼夜行

2016.11.26


 この指とまれ、と少年は冗談めかして言った。
 少女は震える手で、その人差し指を握った。


 丑の刻、橋の欄干に腰掛けた少年は、退屈げに水面を見つめている。
 もう約束の刻限だ。少年は、ゆっくりと顔を上げた。
 賭けは五分五分。待ち人は――来たり。
 視界の端に少女の姿を留め、少年は鬼の面の下で薄く笑う。
 この暗がりで面まで被っていては、表情なんて見えやしないだろう。それでも少女は、少年の様子を敏く感じ取ったようで、微かに肩を震わせた。
 少年の背後に集った魑魅魍魎が、ザワリザワリと波打つように声を上げた。つまみ食いでもしかねない彼らを、少年は身振りで制する。主どころか異形ですらない人の子に、懐いてきた間抜けな者共だ。今宵に限って一人増えようが、大した問題にはならないだろう。
 少年が下駄を鳴らして近付くと、少女が可哀想なほど身を強ばらせたのが分かった。そのくせ決して顔を俯けようとはしないのだ。それがなんとも健気で――少年にとっては腹立たしいことこの上ない。
 触れるほどの距離まで近付くと、甘い香りが鼻腔をくすぐる。言われた通りに準備をしてきたらしい。薄布で顔を隠し、香を焚きしめた衣で人の匂いを隠して。約束したとは言え、愚かな行いのために律儀なことだ。
 そもそもこの少女が、百鬼夜行に交じるなんて酔狂な誘いに応じたことが驚きだった。
「本当に来たのか。いい度胸だな」
 耳元で囁くと、少女はつられて口を開きかけ、思い直したようにぐっと飲み込むのが見えた。
 そこまで見込みがないわけでもないらしい。縋るように少年の名前を呼ぶようなら、すぐにでも家に帰すつもりだった。
 異形の者に名を明け渡してはならない。初歩中の初歩ではあるが、落ちこぼれでも陰陽師の家系に生まれた少女、その程度の心得はあるのだろう。
「行くぞ、始まる」
 無言で頷く少女の手を取り、列の最後尾に付いた。青白い鬼火が道を灯す。
 人ならざるものの列に、陰陽師が二人。


 列をなして歩き出した異形の者に混じり、二人は夜道を進んだ。
 初めは恐る恐るといった様子だった少女も、今は物珍しげに周りの妖や鬼を眺めていた。案外肝が据わっている。
「どうやって家を抜け出したんだ?」
 少年が話しかけると怯えたようになるのは相変わらずだが。
「あの……私の部屋は離れにあるから、見咎められることはあまりなくて」
 訪ねたのは一度だけだが、少女の生家は広大な屋敷だった。部屋数に困っているはずもない。仮にも当主の娘が離れに追いやられているという時点で、大体の事情は察せられた。
 落ちこぼれとして疎まれているというのは本当らしい。
「力がないならせめて家の存続の役に立て、か」
「はい……だから、ごめんなさい。私からはこの縁談を断ることはできません」
「断れないのは俺の方も同じだ。当人同士の実力がどうであれ、家はそっちが格上だからな」
 突如もたらされた縁談は、陰陽師の家同士の結びつきを強めるという名目のもので、反対意見などねじ込む間もない決定事項だった。
「こちらが無理を言ったんですね」
「そうじゃなきゃ、とっくに断っている。許婚なんて、時代錯誤が許されてたまるか」
 吐き捨てるように言うと、隣に並んだ少女の肩が、再びびくりと震える。
 少女の指先は緊張のせいか、凍ったように冷たい。
「鬼よりも俺の方が怖いかよ」
 自嘲気味に零すと、少女は目を瞠って首を振った。
「怖く、ありません」
「七つの頃から、戯れで百鬼夜行に紛れ込んでいた男だぞ?」
 重ねて首を振る。何かを言いかけて、それは飲み込んで。慎重に選ぶように言葉を紡ぐ。
「あなたのことが怖いんじゃなくて、私が、勝手に怖がっていて」
 続きを促すと、少女は迷いながらも思いを吐き出し始めた。
「自信がないんです。陰陽師としては落ちこぼれで、何もできない。何をしても咎められるから、何をしたらいいのかわからない。家族のことは諦めたけれど、会ったばかりのあなたに見限られるのが怖いんです」
 つかえながら、酷くゆっくり話す少女は、思ったことを率直に言うのに慣れていない様子だった。おそらく少女の話に耳を傾ける者が、あの家にはいないだろうから。
「俺は、おどおどとご機嫌取りみたいなことをされる方が苛々する」
「ごめんなさい、ご機嫌取りのつもりはなくて」
 慌てたように顔を上げる少女をみて、気の抜けた笑みが自然に零れた。
「そうだな、そこまで器用じゃないよな」
 一方的に差し出させるのは、公平ではない。少女の本心に近い部分を聞いた以上、こちらも明け渡すべきだと感じた。
「こいつら、友達なんだ」
 驚くでもなく、先を急かすでもなく、少女は静かに少年を見る。
「七つの時からずっと、夜中に会いに来てる。何にも悪さはしない。ただ、夜道をこうやってたまに歩いているだけだ。なにも、退治しなくたって」
「他の陰陽師なら、そうは思わないでしょうね」
 少女が告げたのは、現実だった。陰陽師は異形のものを退治するのが生業だ。こんなことを人前で口走れば、咎められるのは少年の方だろう。
 しかし、少女は『他の陰陽師なら』と言った。例外は少年と――もしかしたら。
 この無力な少女が、魑魅魍魎の最中で怯えずに立っていることを、希望ととって良いのなら。
「俺はこいつらを陰陽師から逃がしてやりたい。俺も、一緒に逃げたい」
 思いつきのような、夢物語のような話だった。それでも、本心に一番近かった。
 少女の顔色に否定の色はない。それどころか、夜闇の中で光を帯びて見えた。
「お前も、逃げるか?」
 少女が息を飲む。
「失敗すれば全部失って番わされる。それでも」
 手伝う覚悟は、と問おうとした唇は、少女の指先に押し止められた。


 この指とまれ、と少年は静かに言った。
 少女は熱を帯びた手で、その人差し指を握った。



指先からはじまる仲間意識と逃避行
今回の私的ときめきワード:許婚 陰陽師 百鬼夜行
Copyright ©2016 Maki Tosaoca