深夜の真剣物書き120分一本勝負  お題:「スプレー缶」「99.5%」
思い出は灰燼に帰す

2016.05.29


「ようやく気づいたの。相変わらず鈍いよなあ、お前」
 呆れ顔の友人は、驚く程いつも通りだった。パーカーのフードを脱ぎ首元から風を送りながら、涼しい顔で目の前の光景を眺めている。やらかしたこととは裏腹に、その表情は無感動に近かった。眩しさに細められた目は冷めた光を放っている。
「何で……何でこんな」
 反射的に口をついて出た問いかけは、末尾まで形作ることができなかった。
 建物がパチパチと爆ぜる音が耳につく。轟音とともに火柱が上がり、友人の明るい髪が爆炎に煽られ、金色に煌めいた。
「昔からこういうの好きでさ、色々研究したんだよね」
「こういうのって……」
「火花とか、炎とか、爆発とか、そういうの。お前も男なら身に覚えがあるだろ? そういうのにワクワクする感覚」
 無理にはしゃぐような声が痛々しかった。
 こんなことをする犯人は、もっとイカれたやつで、炎のまえで陶然と自分の犯行を語るのだと、勝手にイメージしていた。少なくとも、十数年を共に過ごした友人がそうだとは、疑ったこともなかったのだ。
「普通は大人になるにつれて、だんだん忘れていくんだろうけどさ。不思議と俺の好奇心は続いちゃったんだよね。その結果がこれ。納得?」
 なんと答えればいいのか分からず、無言のまま友人を睨む。首をかしげてみせる友人は、俺の反応を見て苦笑した。そんなことが聞きたいんじゃないか、と犯行動機の話を勝手に切り上げ、今度は犯行手段に言及する。
「灯油とかガソリンでもいいんだけど、持ち運びが面倒なんだよね。今回使ったのは純度99.5%の無水エタノール。案外簡単に手に入るんだ。薬局とかで普通に売ってるけど、知ってた? あとは、ライターの火をスプレーで噴射して火炎放射器にしたり」
 よく知った男が、自分の知らない顔で、知らない事柄を淡々と語る。その光景に目眩がした。
「まあ、昔からやり方だけはイロイロ知ってたんだよね。好きなだけのときは、燃やしたいものなんて全く思いつかなかったんだけど」
 今は、と聞くのも野暮な気がした。現に自分の目の前で母校が燃えている。
「なんでだよ……お前、笑ってたじゃん。一緒にバカなこともやったし、少しは真面目に勉強もして、普通の高校生だっただろ……なのに、なんで」
「あ、誤解しないでよ。高校時代は楽しかったし、別に母校に恨みがあるわけじゃない。ただ、どうしても忘れたくなったんだ」
 足元にはスプレー缶が転がっている。高校生だった十年前、こいつと一緒にカラースプレーを噴射し、校舎に盛大な落書きを残して大目玉を食らった。あの日悪戯に使った道具も、時を越えて今や可燃性を利用した凶器に成り下がった。友人が俺の視線を辿り、同じくスプレー缶を目に留めて薄く笑う。
「本当に、楽しかったよ。でも、楽しかった時間なんて永遠には続かない。過去を思い出して空虚な思いを抱えるくらいなら、最初から思い出なんてないほうがいいんだ」
 友人はそう言いながら、こちらに一歩近づく。手には何も持っていないが、油断はできない。気のおけない友人が、警戒しなければならない相手になったことが、堪らなく悲しかった。
 目の前で微笑する放火魔は俺とは違い、躊躇なく距離を詰めてくる。武器を使うか、素手で押さえつけるか。力の行使を視野に入れ始めた俺に、無防備に両手首が差し出された。意表をつかれ、思わず顔を見つめる。
「逮捕するんでしょ? 現行犯だし。ほら、どーぞ」
「……俺に捕まる気はあるんだな」
「犯罪者の自覚はあるよ。監獄で大人しく反省するさ」
 手錠をかける自分の手は慣れた動作で、震えもしなかった。
 やがて赤いランプを灯した車が到着し、放火魔が後部座席に押し込まれる。
「じゃあね、今までありがとう」
 ドアが閉まる直前に友人が口にしたのは、あまりにも簡潔な別れの言葉だった。これが最後だと宣告するかのような挨拶に、どうしようもなく苛立ち、車の窓を強く叩く。
「……お前が忘れたくても、俺は忘れてやらないからな」
 友人は驚いたように目を瞠り、口元を緩めて柔らかく微笑んだ。彼の瞳に光が灯ったように見える。色素の薄い目が、炎を上げて燃える建物を映しオレンジ色に輝いていた。
 声は聞こえなかった。だが、ガラス越しに口元を動かしたのが、はっきりと見えた。
「それが俺の本望だよ」



放火魔と警察官の薄暗い友情のおはなし、でした。
Copyright ©2016 Maki Tosaoca