同じ骨
福を呼ぶ当番

2017.01.29


 二月二日

 今日も学校だ。
 寝ぼけた頭を覚まそうと、目も半分閉じたままで洗面所へ向かう。ガラガラとうがいをして、顔を洗う段階でようやく『ソレ』に気がついた。濡れてペッタリはりつく前髪の間に、奇妙なものがある。タオルで水滴を拭い、目を細めて鏡に顔を近付ける。額の両側、髪の生え際のあたりの皮膚が二箇所、円錐状に硬く盛り上がっている。どこからどう見ても――ツノだ。
 指を伸ばして、恐る恐るソレに触れる。表面を撫でた感じは肌と変わらないが、中は芯が通っているようだ。元から生えていたようにしっかりと根付いている。昨日まではなかったのに。
「うへぇ……」
 話に聞いてはいた。だが、実際に生えてくると反応に困る。しばらくそれを弄っていると、ふくらはぎに衝撃が走った。
「いってぇ! 何すんだよ」
「お兄、邪魔。顔洗ったならどいて」
 小学生にしてはふてぶてしい妹が、蹴飛ばしたことを詫びもせず鼻を鳴らす。鏡の前から俺を押しのけようとして、ツノを見て目を丸くした。そして、回れ右して足音も騒がしく駆けていく。
「おかーさーん、お兄にツノ生えたー! 早く来て! 来てってば!」
 やがてパタパタとした足音が、もう一人引き連れて戻ってきた。
 妹に手を引っ張られて、洗面所にやってきた母は、ツノをまじまじと見て、のんびりとした口調で言う。
「ああ、今年はアンタなのねえ。鬼当番」

 ツノをどうするか悩みはしたが、帽子などを被っても目立つのには変わりない。結局そのままで登校した。そこはみんな高校生なので、あっさりと流してくれる。毎年の町内行事だから慣れている部分も大きいのだろう。
 小難しい事情や大昔の伝承はよく分からないが、ともかくうちの家は古くからこの土地に住む家柄で、『鬼』の家系らしい。とは言っても、人並み外れた怪力があるわけでなし、容貌が人間と大きく異なるわけでもなし、日常生活ではほとんど意識してこなかった。
「……んだけどさあ、この時期になると、親戚中で一人だけツノが生えてくるんだよな」
「ふうん。ライトノベルみたいな設定だな」
「設定言うな! こっちはリアルなんだよ」
 登校して顔を合わせたとたん、ツノをつつきにきた友人は、今も物珍しげな視線を送ってくる。
「この時期って、節分?」
「そ。つまりは明日、町で鬼の役をしろってことなんだよな」
「えーと、豆まきの?」
「そう、豆まきの。家では鬼当番とか鬼役って呼んでる」
「豆まきの鬼って、普通はお面だろ」
「鬼役にツノが生えてこない地域はお面使ってるんじゃないか?」
 話に聞いていたとは言え、豆まきのためだけに、本当にツノが生えてくるとはたまげたものだが。ともかく明日は、町の全ての通りを効率よく周り、できるだけ多くの町民に豆をぶつけられるという奇妙なイベントに強制参加だ。
「というかお前も豆まきぐらい見たことあるだろ」
「俺の家、隣町だし。そういう本格的な豆まきは初めて見る。そう言えば、お前一応鬼なんだろ? 豆ぶつけられて大丈夫なわけ?」
「馬鹿、大丈夫なわけあるか。痛いに決まってるだろ」
「……痛いだけ?」
 友人は拍子抜けしたように言う。対するこちらは真剣だ。
「だけとか言うな、大事だ! 昨年の豆まきの様子、ネットで検索してみろよ」
 友人は素直にスマートフォンを取り出し、『××町 豆まき』で検索をかけ、絶句した。横から画面を覗き込むと、動画の一つが再生されていた。ゴーグルに迷彩服、エアガンを装備した参加者が昨年の鬼を追い回している。動画タイトルは『非リアの俺が本気で豆まきしたったwww』。確か昨年の鬼役は、大学生のはとこだったはずだ。彼は、遠い目をして、節分の日の記憶が定かではないと語っていた……。
「なんというか……激しいな」
「そうなんだよ! せめて手で投げろよ。なんで包囲されてエアガンだのパチンコだので豆ぶつけられなきゃいけないんだ」
「豆があたると目が潰れたり、焼けただれたりとかは?」
「しない! ただただ痛い。というか、鬼とか関係なく目に当たったら普通に危ない。だーかーら、鬼ったって、ホントに特殊なことないんだって。鰯も大豆もバリバリ食ってるし、俺の名前は柊に斗でシュウトだし」
「大変そうだな。まあ、がんばれよ」
 他人事のように(実際他人事だが)笑う友人を睨み、席を立つ。
「どこ行くの」
「早退。明日に備えて」
 準備があるんだと言えば、あっさり納得したようで手を挙げてきた。
「ご武運を」
 なぜ豆まきごときで、そんな言葉をかけられなきゃいけないんだ。


 二月三日

 当日の様子はおおむね、例年通り、予想通りだった。
 午前中は、朝九時に町役場を出発し、町内の幼稚園・保育園・小中学校・病院などの公的施設を回った。子どもたちは、折り紙なんかで作った箱に豆を入れて、『おにはそとー、ふくはうちー』とお決まりの文句とともに豆を投げてくる。これは別にいい。むしろ、帰るときに『おにさんありがとー』という気の抜けたことを言ってきて、ほのぼのした気持ちになった。
 昼食休憩が終わり、午後一時。本番は、ここからだ。
 長袖の作業服を着用し、装備を確認する。
 ヘルメット、よし。
 ゴーグルとマスク、よし。
 靴ひも、よし。
「いっちょやるか!」
 開始の花火とともに、響く町内アナウンスが俺の現在位置を知らせる。
 初めは駅付近の商店街。正直、ここが一番の難所だ。昨日見た動画では、面白半分な若者が目立って写っていたが、実際のところ本気の大人の方が数十倍怖いのだ。
 大人たちが怒号を挙げて追い回してくる。気のいい魚屋のおっちゃんは鰯を刺した木の棒を槍のように振り回し、いつも朗らかな古本屋のばあちゃんは殺気の漂う目で指示を出す。昨年和菓子屋に嫁いできたお姉さんも普段の初々しさはどこへやら、笑顔眩しく大豆は剛速球だ。
「ちょっ、いたい、いたいから。ホント」
「悪く思うな鬼は外!!」
 野太い掛け声が豆とともに背中にぶつけられた。涙目で逃げながら、ほうほうの体でアーケードを走り抜ける。
 突き当たりの角を曲がると、第二関門。わんぱく公園だ。
「いたぞ!」
「カメラスタンバイ!」
 待ち構えていたのは、数台のカメラと迷彩服の部隊。何を隠そうここが、例の動画の撮影地。体力の有り余った若人と、ガチの装備が火を吹く魔の領域だ。わんぱくが度を過ぎている。
「再生数を稼がせてもらうぜ!」
 豆の装填された銃をかまえる彼らに対し、俺は余裕の笑みを浮かべた。彼らが欲しいのはネット上での話題と再生数。弱点はそこにある。
「な、卑怯だぞ、カメラを背にするなんてっ」
 リーダーらしき男が怒りをあらわにするが、知ったことではない。動きの早い実働部隊に比べ、カメラ部隊は見るからに運動不足な体型をしている。現役高校生の脚力で間をすり抜け、公園を出ると息を整える。
 これで二つ。ちなみにチェックポイントはあと五つだ。

 休憩を挟みながらやっとのことで町境を越えれば、あたりは薄暗くなっていた。
 気が抜けたと同時に、一日分の痛みと疲れが重くのしかかってきた。よけられる豆はよけたが、相手は数の暴力だ。当たるときは当たる。手足に痣ができていても不思議ではない。それに一日中走り回っていたため、膝が笑っている。
 花壇の淵に座り込み、目を閉じて俯く。疲労にまかせてじっとしていると、ふと肩を揺さぶられた。
「こんなところで寝るなよ。風邪引くぞ」
 聞き慣れた声に顔を上げる。友人がコンビニの袋を差し出していた。
「おつかれ。これ差し入れ」
「ああ、サンキュ」
 お茶のペットボトルを開けて喉を潤したあと、肉まんにかぶりつく。友人は隣に座り、黙って食べ終わるのを待っていた。
 袋を縛って近くのゴミ箱に捨て、再び座り込んだところで友人は口を開く。
「で、これからどーすんの」
「何が」
「そのままの意味。気になってたんだよね。お前は今日一日鬼なんだろ? 豆をぶつけられて外に追い出される役。追い出されたあとどうすんの?」
 鬼は外、福は内――鬼は病気や災害などの禍いを意味する。町人たちは今日の行事で禍いを追い払い、幸せを呼び込んだ。追い払われたはずの鬼が、堂々と町に戻ることはできない。
「このツノがなくなるまで待つよ」
「それ、いつ?」
「明日になれば消えるらしい」
「それまでは?」
「町の外で待機」
 なるほどね、と相槌を打ち、友人が立ち上がった。
「じゃあ、行くぞ」
「は?」
 予想外の言葉に間抜けな声が出る。どこに、と尋ねる前に腕を引かれた。
「俺の家」

 二階建ての一軒家の前にたどり着いたところで、我に返る。
「いやいやいや、まずいって、やっぱり。鬼だぞ俺」
 それを聞いた友人は眉間にシワを寄せる。
「ここまでついてきて、何言ってんだよ」
「だってさ、『鬼は外、福は内』だぞ。鬼を家に入れて、不幸になっても、俺責任取れないし」
「『鬼は外、福は内』なんだろ? 外でうだうだ言ってるなら鬼。大人しくうちに入るなら福の神だ。いいから早く入れよ、寒いだろ」
「つーか、お前はしなくていいの? 豆まき」
「もうやった。うちは毎年父親が鬼の役だから。母さんと弟が張り切ってた」
「……本当にいいの」
「さっきからずっと、そう言ってるじゃん。いい加減みんなお腹すいてるんだから早くしろ。夕飯がさめる」
 中に入ると、友人の弟だろうちびっ子が、ツノを見てすげーすげーと興奮した声を上げた。父親と母親もそろって玄関に出てきて、まあまあいらっしゃいと歓迎ムード。困惑しているところで、着替えとともに風呂場に押し込まれた。冷えた身体を温めて、風呂から出たら怪我の手当てをされて、食卓につく。ご飯を山盛りよそわれて、揚げたてのフライや味噌汁をお腹いっぱい食べて、用意された布団はふかふかだった。
 結構、俺は単純な人間なわけで、一日の最後がこんなふうに幸せだっただけで、案外悪くない一日だったと思ってしまう。
「鬼役はもうこりごりだけどな」
 そう言うと、友人はまどろみつつも微かに笑い声を漏らした。


 二月四日

「お、ほんとだ。ツノ消えてるな」
 起きてこちらを見た友人が感嘆する。
「え、マジ? 鏡どこ、見てくる」
「洗面所。一階の」
 バタバタと騒がしく洗面所に向かい、鏡を覗き込む。前髪をあげて、顔を左右に傾けてみたが、ツノの痕は何もなかった。つるっとした普段通りの額があり、手で触れても妙な出っ張りは感じられなかった。
「よかったー! これで節分終了!」
 鬼役から解放された喜びのままに万歳、と手を上げる。いつの間にかやってきた弟くんが、寝ぼけ眼で、ばんざいと復唱した。



企画:同じ骨(http://ice03g.wpblog.jp/kikaku/same_bone/)参加作品
Copyright ©2016 Maki Tosaoca