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2017.08.27 発行
命懸けのゲームに巻き込まれた探偵の話

50:50 fifty-fifty sample



   1

 ふくく、と押し殺した笑い声が聞こえた。
 この場にいる誰かに聞かれれば、間違いなく不謹慎だと咎められるだろう。掴みかかられたっておかしくはない。しかし幸か不幸か、それに気付いたのは隣に立っている雷火だけのようだった。もしかすると、雷火だけが気付くようにわざと、という可能性だってある。
 そういう嫌な奴なのだ。藤沢聡真という男は。
「おい、聞こえるぞ」
 小声で忠告を吹き込んで様子を窺えば、緩む唇を懸命にこらえる横顔が映った。彼のそんな顔を見る度に、人の死に慣れきった自分たちの無神経さに気付かされる。
 すぐ隣の部屋には今も屋敷の主人の死体が転がっていて、同じ部屋に悲嘆に暮れる遺族の姿があっても、感情は揺れなかった。それぐらいがちょうどいいとも思う。
 雷火にとって、そして聡真にとっても、誰かの悪意がもたらす死は日常風景の一つで、飯の種でもある。いちいち動揺している暇はないのだ。鈍感過ぎるくらいじゃないとやっていけない。自分たちの役目は、速やかに真相を導き出すこと。それ以外にリソースを割けるほど、雷火の頭は器用にできてはいない。
 しかしながら、聡真のニヤつく口元を見ると、雷火は少しだけ安心する。自分の人間らしい感情はまだイカレてはいないと分かるから。少なくとも聡真よりは。
 ……まあ確かに、遺族に対してお悔やみ申し上げる気持ちよりも、疑念の方が強いことは否定しない。ハンカチを目元に当てた奥方、それにすがって泣き崩れる令嬢、青ざめた婦人、うなだれる老爺、苛立った青年――おそらくこの中に、悪意を持った人物が紛れ込んでいる。
 容疑者の顔をぐるりと見渡す聡真の様子を見て、雷火は焦燥感に駆られた。きっとコイツにはもう分かってしまったのだ。こちらの焦りを知ってか知らずか、聡真は右手の指をパチンと鳴らす。
「あくまで僕の勘なんだけどさー、犯人ってあの人だと思うんだよね」
 案の定。あっさり告げられた答えに思わず舌打ちする。当てずっぽうのように言っているが、聡真が勘を外すのを見たことはなかった。今回のこれも、例に漏れず正答に違いない。ゴールが定まった以上、出し抜かれるのも時間の問題だ。
 だが、諦めるにはまだ早い。聡真にだってまだ、答えに至るプロセスは見出せていないはずだ。これ以上差をつけられまいと、思考をフル回転させて周囲を注意深く窺う。
「わー、こわい顔。怒った? ねえ、怒った?」
 しかし意識の隅に邪魔者がちらつく。
「……別に怒ってねえ」
「うっそだぁ。ライカは考えてる途中で邪魔されるの、嫌いだもんね」
「分かってるなら黙ってろッ!」
 人を食ったようなふざけた態度は出会った時から変わらない。ただし雷火限定で。
 大抵は皆、品行方正で人当たりのいい外見に騙される。コイツもそれを分かっていて、依頼人には二割増キリっとした顔で応対するのだ。本性はゆるゆるのくせに。
 とにかく藤沢聡真という男は、不真面目で猫被りで自分勝手で気分屋で――そんな彼の言うことは、どうせ。
「ねえライカ、頼まれてくれない?」
 どうせ、碌でもないことに決まっているのだ。



   2

 和泉雷火(いずみらいか)が仕事帰りに立ち寄った居酒屋はガラガラで、客の姿はほとんど無い。
 月曜日、おまけに多くの会社は給料日前とくれば、当然かもしれない。雷火のように日程も拘束時間もイレギュラーな仕事をしていれば、曜日なんて有って無いようなものだが。
 空いているおかげで、一人客にもかかわらず四人用のボックス席に通された。大きな旅行鞄を抱えていたのも理由の一つだろう。
 手書きのメニューを見て適当に注文をすれば、若い店員がよく通る声でメニューを復唱する。
「以上でよろしいでしょうか?」
「あ、生中もう一つ。それとたこわさ」
「は?」
 横から勝手に注文を告げる声に、思わず間抜けな声が漏れる。いつの間に現れたのやら、男が一人、テーブルのすぐそばに立っていた。
「お兄さん、以上でオッケーです」
 雷火に代わって店員を下がらせた男は、了承も得ず向かいの席に腰を下ろす。メニューを右手で壁際に戻しながら言うことには。
「わー、ぐーぜーん」
 白々しくもそうほざいた目の前の青年を、力一杯睨みつける。
「……お前、何しに来た」
 清々しいほどの棒読みで偶然も何もあるものか。
「何でこんな所でお前と顔を合わせなきゃいけないんだよ。どうしてここが分かった?」
「いやあ、ライカのその頭、夜でも見つけやすくていいよね」
 男――藤沢聡真は、雷火の頭を右手で指さして、からかうように言う。周囲を威嚇するような金髪は、十代半ばから雷火のトレードマークだ。
「つまり、尾行(つけ)てきたわけだな」
「まあまあ、そう怒らないでよ。疲れてるんでしょ?」
「お前のおかげでな」
「えー、まだ怒ってるわけ?」
「当たり前だ!」
 ケタケタと笑う聡真とは、両の指では足らないほどの回数、仕事を共にしている。今日も例外ではなく、昼間に別れたばかりだった。それも、この上なく迷惑なシチュエーションで。
「妹の誕生日だとかいうふざけた理由で、俺に丸投げして帰ったクソ野郎がどのツラ下げて来やがった?」
「おーこわ。いーじゃん。事件は解決したんでしょ?」
「当然」
「あれぐらい、君一人で十分だと思ったから帰ったんだよ。勘と洞察力はともかく、知識量と思考力が必要になった時点で君の領域だ。で? 犯人誰だった?」
「さあな」
 答えるのも面倒ではぐらかしたが、聡真は気にすることなく話を続ける。僕の予想では、と続けて告げられた名前はまさに、雷火が引導を渡した人物のものだった。悔しいから教えてやる気はない。
「誰か分かったなら捕まえてから帰れよ」
 報酬はあくまで事件を解決したときにしか得られない。二人で協力した結果報酬を山分けにすることもあるが、丸投げされた今回の場合は雷火の総取りだ。普段は金にがめついくせに、今回は妙に引き際があっさりしていた。
「だって決定的な証拠が見つからなかったもん。答えが分かっても追い詰めきれなかったら僕の責任になるじゃん。ライカはどうしたの」
「状況証拠で理詰め」
 雷火の返答を聞いて、やっぱり任せて正解だった、と聡真はなぜか得意げな笑みを浮かべる。腹が立ったので机の下で脛を蹴飛ばす。
 避けられた。
「大体な、いつもいつも俺に投げすぎだろ、お前。この前の事件も犯人だけ当てて、証拠集めは俺に押し付けやがって」
「グチグチ文句言いつつも、やってくれたじゃん」
「その前だって。お前は犯人しか言わねえから、アリバイ崩しは全部俺がやったんだぞ」
「ライカのほうが得意じゃん。そういう難しいこと考えるの」
 褒められているような、頼めば何でもやってくれてちょろいと言われているような、微妙なところだ。

***

 雷火、そして聡真は、少々変わった仕事をしている。『認定調査員』と呼ばれるそれは、一昔前のテレビドラマやアニメでいうところの『探偵』だ。
 凶悪な、あるいは難解な事件が起これば現場に向かって、独自に調査し真相を暴いて報酬を得る。フィクションの探偵と違う点を挙げれば、首を突っ込むのに国家資格を得ているということ。事件捜査への参加がきちんと制度として認められているというわけだ。
 もっとも、現場の警察官に煙たがられることも少なくない。調査員としての実績に関係ないとはいえ、二十一歳という若さと歳相応の外見はそれなりに不利だ。
 侮られ見くびられ、かといって本領を発揮すれば気味悪がられ……そんな環境で十代の頃から揉まれてくれば、聡真のように食えない性格になるのも当然といえば当然。
 彼のわがままには形式的に反発するものの、雷火は結局いつも流されている。単純に、流される方が楽なのだ。こうと決めたら譲らないやつだということは、長年の付き合いでよく分かっているから。

***

 注文の品が揃い始めたところでグラスをぶつける。
「で? お前、妹の……ヒナコはどうした?」
 目の前の聡真は一人だった。早退の口実にした割には、妹の姿が見えない。尋ねると、聡真はむっと唇を尖らせた。
「僕の可愛い妹の名前を勝手に呼ばないでくれる」
「ハイハイ。で、お前の可愛い妹は?」
「言葉は正しく使うべきだよ、ライカ。僕の妹が本当に可愛いかどうか君は知らないでしょ?」
「ハイハイ。で、多分可愛いお前の妹は」
「んーと陽奈子は……あ、たこわさ食べる?」
「食べる」
 聡真は左手に持ったグラスを置き、たこわさがのった小皿を差し出しながら答えた。
「本当だったら誕生日会をする予定だったんだけど、無理になってね。だからまあ、ライカと遊ぼうと思って」
 溺愛している妹との予定がなくなった。ここまではいい。しかし、その次に何故雷火の名前がくるのか。
「迷惑なことこの上ないな」
「まあまあそう言わずに。でさ、色々考えて、ゲームをすることにしたんだ」
「ゲーム?」
「そう」
 不可解な流れを感じ取って問い返せば、聡真は底の見えない顔で笑う。そして、低く落とした声で囁いた。
「生きるか死ぬか、命懸けのゲーム」
「……は?」
 こちらの怪訝な顔に対して、聡真は微笑んだまま。
 右手の箸でたこわさをつつきながら、けれども決して冗談ではないトーンで言う。
「どうせなら、君と本気でやり合うほうが面白いかなって。ライカ、キミの頭脳を信頼してるよ」
 青年の双眸に昂奮と狂気が滲む。この表情は何度も見たことがあった。事件解決の算段がついたときの、そして獲物を追い詰めるときの顔だ。しかし、状況にそぐわない。ここはなんの変哲もない居酒屋だ。まさか殺人犯が息を潜めているわけでもないだろうに。
 聡真の意図がいまいち掴めない。それなのに、話はどんどん進んでいく。
 一方的にのたまう聡真に対して、雷火は付き合いきれないとばかりに立ち上がった。そのとき。
「……テメエ、何しやがった」
「んー、何でしょう?」
 足に力が入らず、シートの上に倒れこむ。視界が不自然にぐらぐらと揺れていた。頭にもやがかかったようで、うまくはたらかない。
 酔ったわけではないはずだ。たかだかグラス一杯のビールで歩けなくなるほど弱くはない。
「ヒントをあげようか。右利きの僕が、どうしてグラスだけは左手で持ってたと思う?」
 鈍くなった頭でも答えはすぐに出た。そして、そんな単純な罠に気付かなかった自分の迂闊さを呪う。 「すり、かえ……たな」
「ご明答」
 聡真が左手でグラスを持てば、そのグラスは自然と、向かいに座る雷火の右側に置かれる。ちょうど雷火のグラスの近くに。
 中身は同じビール。量を調整しながら飲めば、見分けはつきにくくなる。料理をすすめてきたのもきっと、雷火の視線をグラスから逸らすためだった。
「というわけで、一服盛らせていただきましたー。大丈夫! ちょっと眠くなるだけのお薬だから、怖くないよ」
「うっせぇ……ぜったいころす」
「このあと思う存分ね。まあ、負けてやる気はないんだけど。あ、ここは僕が奢るから心配しなくていいよ。せめてものお詫びってことで」
 聡真は相変わらずヘラヘラ笑いながら、おやすみと右手を振る。
「く、そやろ……」
 抗った甲斐もなく目蓋は勝手に閉ざされた。暗転した視界の隅で、聡真の小さな呟きが聞こえた。

「ごめんね、ライカ」

(後略)


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