2017.10.28 発行 不器用な魔術師達と、その傍にいる誰かの話
魔術師のてのひら sample
「何か用?」
ドアの前で猫がこちらを睨む。雪の上に、そこだけインクを零したような黒猫だ。こちらを怪訝そうに窺い、澄ました顔で長い尻尾をひとふり。
少女がしゃがんで目線を合わせると、相手は呆れたように鼻を鳴らした。
「違うよ、上」
言われるままに顔を上げると、二階の窓から一人の青年が顔を出してこちらを覗き込んでいた。銀灰色の前髪で目元が隠れていて表情がよく分からない。声が硬いので、少なくとも機嫌がよいわけではなさそうだ。青年は頬杖をついて大きく息を吐く。
「猫が喋るわけないでしょ。で、君は何しに来たの。こんな朝早くに」
少女はこの城の人間に用があるのだが、目の前の人物が本人かどうかは分かりかねた。住み込みの弟子か何かかもしれない。何しろ、想像していたよりも随分若いのだ。
「私、エリク・カーティスさんという方に会いに来たんですけど」
「だろうね。ここ、僕しか住んでないし」
「あなたが、カーティスさんですか? 魔術師の」
「そうだけど」
淡々とした肯定は、拒絶と捉えてもおかしくはないほど温度に乏しかった。実際に気分を害する人は多いだろう。
だが、少女は心から安堵していた。生まれ育った村から出て二ヶ月。ようやくたどり着いたのだ。
潤みかけた瞳を擦り、少女は頭を下げた。
「私を弟子にしてください!」
しばらく反応がなかった。顔を上げて様子を窺う少女を見て、魔術師はようやく我に返ったようで、簡潔に答えた。
「無理」
一言ですげなく断られ、少女は呆気にとられた。そんなの、話が違う。
「大体、なんで僕? 何かの間違いじゃないの?」
「でも……ちゃんとお手紙を預かってきたんです」
鞄から封筒を出す。先日立ち寄った魔術学院で、そこの教師から預かってきたものだ。
青年に渡す前に、もう一度宛名を確認する。エリク・カーティス。やはり間違いではない。
青年に手紙を渡そうとして、二階までの高さを見る。背伸びしても流石に届かないだろう。どうしようかとオロオロしていると、青年は右手を差し出して指を鳴らした。青年の指先から僅かに光輝がこぼれる。火花と似たそれは少女のいるほうに落ちてきたが、手を触れても熱くはなかった。
光の粒に見とれていると、異変が起きた。持っていた封筒がじたばたと暴れだし、少女の指から逃れてふわりと浮き上がったのだ。そのまま高くまで飛んでいく。まるで命を吹き込まれたみたいだ。青年の手は、来ることを確信した位置で待ち構えており、当然のように手紙を捕まえた。青年が触れると、手紙は元通りに大人しくなった。
間近で初めて見る他人の魔術に少女の胸が高鳴った。今目の前にいるこの人は、本当に魔術師なのだ。それも、息をするように魔術を扱う実力の。
手紙を受け取った青年は、表面の文字を指でなぞる。
「確かに宛名は僕の名前だけど。差出人は……ふうん、ウォルター・ベネット、ね。分かった。取り敢えず入っていいよ。ここで話すの寒いし」
青年の許しを得ると、ドアが音を立てて勝手に開いた。
「あ、ありがとうございます」
「別に」
青年は窓から顔を引っ込め、部屋の奥へ消えた。
コートに積もった雪を払い、少女は恐る恐る城の中へ足を踏み入れた。
「コーネリア、おいで」
青年の声が猫を呼ぶ。彼が浅い皿にミルクを入れて差し出すと、黒猫は躊躇いもせず口を付けた。
「そんなところで突っ立ってないで、君も座ったら?」
脱いだ上着を背もたれに引っ掛けて、示された椅子に腰掛ける。目の前の机にカップが二つ置かれた。
少女の正面に青年が座り、カップを手に取った。促されて少女も。
中にはホットミルクが並々と入っていた。雪道を歩いて冷えていた指先が温まっていく。数回息を吐いて冷ますと、ちょうどいい熱さになった。そっと口をつける。仄かに甘い香りがした。
「蜂蜜入りだ……」
「悪いね。これしか知らないから」
「おいしいです」
「それは良かった」
落ち着いたところで、青年が本題を切り出した。ひらりと封筒をかざす。
「中をあらためても?」
少女が頷くと、青年は別の部屋からペーパーナイフを呼び寄せて封を切った。
畳まれた便箋を広げ、青年の目が文字をたどって左右に動く。便箋の下のほうに行くにつれて、彼の眉間のしわがだんだん深くなっていく。少女はそれを緊張した面持ちで眺めていた。
読み終わった青年が、長い息を吐いてこめかみをおさえ、目を閉じる。しばらく考え込み、手紙を掴んで立ち上がった。怒っているのは明らかだった。
立ち上がるときに椅子が大きな音を立てたので、少女は驚いて硬直する。
だが、青年の怒りは少女に向いているわけではないらしい。
彼は壁際の鏡に近寄り、手をかざした。
(まただ)
青年はいとも簡単に魔術をつかう。
彼の顔を映していた鏡の中に光輝が吸い寄せられ、別の風景が写りこんだ。鏡を覗いているはずなのに、いつの間にか向こう側には寝ぼけた男性がいる。
見覚えのある顔だ。当たり前。少女を青年の元に送り出した張本人なのだから。
「どうも、おはようございます」
「なんだよ、朝早くに」
男性は欠伸を噛み殺しながら文句を言う。青年はそれには取り合わず、
「どうせ今日は学院は休みでしょう」
とだけ返して、用件を切り出した。手紙を鼻先に突きつけて。
「お久しぶりですベネット先生。一体どういうことですかね、これは」
「ああ、本当に久しぶりだな。魔術学院を卒業して以来だろう。元気そうでなにより。どういうことも何も、その手紙の通りだ。その子、今日からお前の弟子な」
ミスター・ベネットは寝癖を整えながら答える。
「正気ですか? 僕は弟子を取れるような魔術師じゃない」
それを聞いたベネットは肩をすくめた。
「面白くねー冗談言うなよ。お前で駄目なら、その前後三年の卒業生で弟子を取れる奴は一人もいなくなる」
「能力の問題じゃありません。向いてないと言っているんです」
「でも、お前は弟子をとったことがないだろう。やってもみないうちに、どうして適性を論じられる?」
「やってみなくても分かります」
思うような答えが得られなかったからか、青年はピリピリとしている。
「まあまあ、本人を見て決めてもいいんじゃねえの。それともなんだ。お前は遠路はるばるやってきた客人を、理由も聞かずに門前払いするような非情の輩に成り下がったわけか」
門前払いどころか、ホットミルクまで出してもらっている少女は、慌ててフォローを入れようとしたが、その前に青年が話を切り上げた。
「……分かりましたよ。聞きますよ、事情ぐらい! 聞いても弟子にするかは別問題ですからね! それではっ」
魔術師がバァン、と乱暴に鏡面を叩くと、ベネットの姿は掻き消え、あとは不機嫌そうな魔術師が映るばかりだった。
「で?」
「え、えっと」
「事情。あるんでしょ。手短にどうぞ」
(後略)
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